2.STEINWAY&SONSサクセスストーリ |
スタインウェイの歴史は、ひとことでは言い著わせません。それは、スタインウェイが1800年代前半より現在に至るまでの長い歴史を有し、その間さまざまな出来事や時代の流れに影響されながら存続しているからです。しかし、スタインウェイ&サンズの成功に 繋がった確かな原因を挙げるならピアノの優れた品質と、スタインウェイ親子がそのピアノを造り上げたスピリッツを欠かすわけにはいきません。今回はピアノ調律師の立場から見たスタインウェイピアノの特徴とピアノ造りに対する精神を、私なりの角度で僅かながらの知識の中から述べさせて頂きます。まずは、ピアノ造りに必要なアイデアを考えだし、数々のパテントを取得するのに至ったスタインウェイ親子の話をしたいと思います。その後にスタインウェイピアノの特徴を説明します。 スタインウェイの歴史は創始者であるハインリッヒ・エンゲルハート・スタインヴェグ(1797〜1871ドイツ生れ)より始まります。ハインリッヒが初期の頃に造ったピアノは、すべての部分がオリジナル部品で組み立てられており、そのピアノの製作に連日連夜没頭し、完成まで13年間費やしました。その後ハインリッヒはドイツの封建社会による規制で国内でのピアノ造りに限界を感じて、息子のチャールズを下見に行かせた上で家族と一緒にアメリカ・ニューヨークに渡りました。ハインリッヒは子宝に恵まれ、その時に10人の子供がいましたが、息子達にはピアノ製作に関する主義、理念、抱負を徹底的に叩き込み、厳格に教育しました。ハインリッヒの息子達は木材等の材料学者、ピアノ設計者、ピアノ技術者、ピアノ発明家、音楽家、ビジネスマンというようにピアノの製造販売に必要なすべての要素を備えていました。叉、ハインリッヒは名前をアメリカ風にスタインヴェグをスタインウェイにかえています。ハインリッヒはアメリカで入手できる最高の木材の研究をしました。同時にピアノ造りに才能を持つ息子達と共にピアノ製作に情熱を傾けて、息子達が発明したピアノを見本市に出品することによって、数々の成功を獲得しました。しかし、スタインウェイには同時に悲劇も付きまといました。スタインウェイ親子の不幸は優秀な息子達の早すぎる死であります。それは、1864年にヘンリーがリウマチにより耳に障害を受け、翌年の1865年には肺炎の為35才で死亡。チャールズも同じ年に耳と喉に障害を受けて苦しんだが、ヨーロッパの病院での治療で回復をしたものの、翌年に腸チフスによる発熱の為36才で死亡しました。アルバートも腸チフスで37才の若さで他界しています。ヘンリーの死後、セオドアはスタインウェイ一家がアメリカに渡った際に、ひとりドイツに残ってピアノの研究を続けていましたが、ヘンリーの仕事を引き継ぐ為にアメリカへ渡って、その後の20年間に数々発明を含むピアノ造りに貢献しました。1880年にスタインウェイ社はセオドアのかねてからの希望であったドイツ工場をハンブルグに設立して、生産コストの削減と木材などヨーロッパの気候に合った材質を使用することにより楽器としての品質を長く保持できました。セオドアはハンブルグ工場設立から9年後の64才で喘息の為に生涯を終えています。それから7年後に初代社長のウィリアムが61才の生涯を閉じてスタインウェイ親子のピアノ造り物語を終えることになります。 スタインウェイピアノの特徴としましては、ピアノの多くの発明でパテントを取得したのは息子たちでした。始めは1857年からヘンリー・ジュニアがオーバーストリング(交差弦方式で中、高音部の弦とベース弦が交差している)の一体鋳造フレームを使った近代的な設計などを含む7つの発明を行い、次に初代社長となったウィリアムがアップライトピアノの鉄骨(ピアノの蓋を開けると見える金色の金属製の部分)の発明を、その後セオドアがスタインウェイピアノにとって重要な45のパテントを取得しています。叉アルバートがソステヌート(通常グランドの3本のペダルの中央)に関する4つのパテントを取得しました。セオドアは近代科学の知識、原則をピアノ製造に応用して、ピアノの改良を行いましたが、今日に至ってスタインウェイ以外のピアノの殆どはスタインウェイシステムと呼ばれる方法に依り、鉄骨、弦、共鳴板のシステムの事を指しています。具体的なシステムや機能、構造を説明しますと、鉄骨は張力(ピアノに沢山の弦を張る事によって生じる力)をうまく分散する構造になっていて、ピン板(調律の際に回すピンが打ち込まれている板)にかかる張力を鉄骨に付いている顎でしっかり支えられています。この鉄骨の素材は1870年代スタインウェイが何年もかけて合金の実験を重ねた末に鉄骨用の金属として開発されたものですが、この金属は大事な音楽的振動と通常の鋳物の2倍の強度を有していて、当時他メーカーが11.3トンの張力に耐えるのに対し、スタインウェイの鉄骨は34トンに耐えることができました。弦ではグランドピアノとして初めて交差弦方式を採用して、弦を平行に張るのではなく扇形に開くような構造になっており叉、ベース弦は2重に巻かれました。駒(弦振動を響鳴板に伝達する部分)は響鳴板の中央に位置していて、より音振動に響鳴板が敏感に反応するように設計されています。アクションはダブルエスケープメントアクション(連打の際、いち早く次の打鍵に備える装置)に改良を加えることによって、飛躍的に動きを速くすることを可能としました。その他に響鳴板はストレスが加わって異常な程の安定性と振動性を見せる木材を使用していて、この響鳴板はヴァイオリンの様にピアノの全ての音域に自由にむらなく反応する様に造られています。響鳴板の厚さは中央が9mmで外側に向かい6mmの薄さになっていますが、このデサインにより空気中により多くの振動を送ることが可能となりました。ケース(グランドの流線形の外側)のリム(内廻し)と外枠は二重に重ねた状態で曲げられています。つまりリムと外枠は一工程でひとつにプレスされていて、この特殊な方法はピアノ全体を響板の様な効果を生み出します。アクションフレーム(アクションが取り付けられている骨組みの部分)は、どんな気候にも耐えられるように、湿度の含有量を最低に抑えた楓の木材が、ぴったりとはめ込められた金属製の管でできたフレームに取付けられています。 このようにスタインウェイの歴史は優れたピアノを造ることによって築かれてきました。 スタインウェイの経営は5世代6家族に引き継がれてきましたが、これ程長い期間に渡って同じ家族が経営に携わってこれたことは大きな企業として稀です。要因としては、コンサート・アンド・アーティスト・デパートメントと呼ばれるユニークな組織を外すことができません。この組織はコンサートツアーの適切な運営を行い、同時に世界中のアーティストのサポートをしてきました。1872〜1873年のアントン・ルービンシュタインや、1891〜1892年にはパデレフスキーをアメリカに招聘してコンサートツアーを行ったのもコンサート・アンド・アーティスト・デパートメントによるものでした。他に、経営者が優れたビジネスパートナーと組めたおかげとも言えます。5代目社長のヘンリーは、1972年にCBSにスタインウェイ社を売却。1985年にCBSからボストンの投資家グループへ経営権が移り、1995年からセルマー社がスタインウェイ社の経営を行って今日に至っています。 |
●スタインウェイ&サンズの年表 |
1797年 | スタインウェイ&サンズ創設者ハインリッヒ・エンゲルハート・スタインヴェクがドイツに生まれる。 |
1818年 | ハインリッヒ・エンゲルハート・スタインヴェクは木工見習いをはじめる。その後オルガン造りの見習いをする。 |
1825年 | ハインリッヒ・エンゲルハート・スタインヴェクがユリアン・シーマーと結婚する。 |
1835年 | ピアノ製作を始める。 |
1839年 | ブラウンシュヴァイクのエージス教会の商品見本市で一等賞を獲得する。 |
1849年 | ドイツでのピアノ造りに困難を感じ、息子のチャールズを下見の為アメリカに行かせる。 |
1850年 | スタインヴェグ一家がアメリカに渡る。 |
1853年 | マンハッタンにスタインウェイ&サンズ社を設立。 |
1854年 | 息子ヘンリージュニアが考えたピアノがワシントンDCのメトロポリタン商品見本市で一等賞を獲得する。 |
1855年 | 一体型鉄骨、グランドの初めての交差弦方式、ダブルエスケートメントアクションの改良を行う。 |
1855年 | 同じくヘンリーのピアノがニューヨークのクリスタルパレス展示会で称賛されスタインウェイピアノの売り上げが飛躍的に伸びる。 |
1864年 | スタインウェイホールをマンハッタンWEST14thStreetにオープンする。 |
1867年 | パリ万博で金メダルを獲得する。 |
1870年代 | コンサート・アンド・アーティスト・デパートメントを設立。 |
1871年 | ハインリッヒ・エンゲルハート・スタインヴェク没 |
1872年 | アントン・ルービンシュタインをアメリカに招聘して計215回のコンサートを行う。 |
1873年 | クイーンズに工場を建設される。 |
1874年 | ソステヌートペダルを完成。 |
1877年 | ロンドンにパートナーシップ会社を設立。 |
1880年 | ドイツ、ハンブルグ工場が創業される。ニューヨーク工場から輸入した部品を組み立てて仕上げていた。 |
1882年 | フランツ・リストのピアノを製作。 |
1891年 | パデレフスキーをアメリカに招聘してコンサートツアーを行う。 |
1903年 | 生産台数10万台目を製作。 |
1907年 | ドイツ、ハンブルグ工場が独自生産の部品でピアノ造りを始める。 |
1909年 | ベルリンに工場を建設。 |
1925年 | マンハッタンWEST57thStreetに新しいスタインウェイホールがオープンする。 |
1926年 | 従業員2300人を誇り、年間生産台数6294台を記録する。現代に至りその記録は破られていない。しかし、その後生産台数は下降線をたどる。 |
1938年 | スタインウェイの30万台目のピアノをホワイトハウスに贈られる。 |
1972年 | CBSがスタインウェイを買収する。 |
1985年 | バーミンガム兄弟を主なオーナーとするボストンの投資家グループがスタインウェイを買い取る。 |
1988年 | 50万台目の式典をカーネギーホールにて行われる。 |
1995年 | バーミンガム兄弟がサックスフォンのセルマー社に1億ドルで売却。 |
1996年 | 製造番号537200を製造している。 |